いつでも見られているんです。

女性国会議員の方が、

秘書の方に

車中で暴行暴言を浴びせていたことが

繰り返し報道されています。

 

ですが、

この女性国会議員の方も

表では

真面目で仕事熱心

物静かな方

という評判もあったようです。

 

車中であれば

誰にも見られていないと

思っていたのかもしれません。

人は誰かに見られていると、

自然と

背筋が伸び、

自分を律するものです。

  

子どもが中学生の頃

クラス内でいじめが起き、

困った担任の先生から

「お母さん、どうしたらいいんでしょうか?」

と、電話をいただいたことがありました。

 

その時、

経験もない私ができることは

ただ、どうしたらいいのか一緒に悩むことだけでした。

 

その後、

考えた末

いじめっ子のお宅に

電話をしてみたのです。

 

偶然にも、

本人がでてくれました。

 

「〇〇くん、あのね。

クラスのお母さんたちに会うと

みんなで、〇〇くんが早く良い子に戻るといいね

って話しているんだよ。

おばさんたち、〇〇くんが

良い子に戻るの待っているね!」

 

「…はい。」

 

返ってきたのは、素直な返事でした。

 

誰かに見られている。

その思いから

自分の行動に歯止めがかかったのでしょうか

その後、

いじめはなくなったのです。

 

見ているのは、

周囲の方たちばかりではありません。

亡くなった方たちも

見てくれているのです。

 

思いを寄せる方の側に寄り添い、

いつでも

どこにいても

見守っていてくれているのです。

 

人間関係で悩んでいる友人がいました。

Aさんと二人きりになると、

言われたくないようなことばかり言われ、

もう心が疲れてしまった

というのです。

 

そんなある晩のこと、

ふと目が覚めると

ドアの側に男性が立っていました。

 

「どなたですか?」

 

申し訳なさそうな表情で

うつむいていたその男性は、

「Aです。」

と言って、消えていきました。

 

でも、すぐにまた現れたのです。

今度は、胸に「A」と苗字を大きく書いたゼッケンをつけていました。

 

亡くなられたAさんのご主人かと思ったので、

「どうなさったんですか?

何かお伝えすることがあれば、伝えますよ」

と、聞いてみたのですが、

ただただ申し訳なさそうに

謝るようなそぶりをして、

その後

またスーッと消えていったのでした。

 

後日、

Aさんに男性の特徴などを話したところ、

20年前に亡くなられたご主人に

間違いないとのことでした。

 

亡くなった方は

姿こそ見えませんが、

いつも側で見守ってくれているのです。

 

そして、

時として

ついている方の言動に

心を痛めることもあるのです。

 

感じたり

見たりすることはなくとも、

いつも見守っていてくれている。

 

いつでも

見守っていてくれている方に

恥じない言動を

心がけていかなければと、

改めて思う

出来事でした。