京都あだしの念仏寺 千灯供養 に行きました。

十年以上も前、

子どもと一緒に

京都のあだしの念仏寺

千灯供養に行きました。

千灯供養とは

毎年8月23日・24日に、念仏寺境内の西院の河原にまつられている数千体の無縁仏にろうそくを灯し、供養する宗教行事です。

 

当時は

往復はがきで申し込みをしてから

行きましたが、

今は予約不要なようです。

行事協力維持料として一人1000円かかります。

(小学生以下は無料)

 

www.nenbutsuji.jp

 

あだし野は、昔々

行き倒れなどで最後を迎えた

多くの方が

無縁仏となって

弔われている場所です。

千年以上経った今でも、

全国から

大勢の方が

弔いに訪れています。

 

段々と

空が暗くなるにつれ、

ろうそくの数が増えていき

何とも言えない

厳かな雰囲気になってきました。

みんなの思いが通じ、

無念の思いで亡くなってしまった方も

心安らかに。

と、願います。

 

念仏寺に来たのは、

瀬戸内寂聴さんのお話を聞くためでもありました。

本堂前で

今か今かと楽しみに待っていました。

 

無数のろうそくの灯りを見ながら

法話までの時間を

待っている間、

たまたま隣に座って待っていたご夫婦と

話す機会がありました。

 

東京から来たというご夫婦は、

巣鴨に住んでいるとのこと。

私の母は、

戦争の空襲で疎開するまで

池袋に住んでいました。

その時、

お茶はいつも

巣鴨のお茶屋さんと決めていたそうです。

もしかしたら、

そのお茶屋さんを知っているかなと

聞いてみたところ

「それ、同級生の店だよ!」

と、ご主人が言うんです。

偶然のことに

話しが盛り上がり、

なんだか嬉しくなりました。

 

そんな話で盛り上がっていましたが

ふと、時計を見ると

もう法話がはじまる時間。

全く始まる気配がなかったので

「おかしいですよね。」

などと話しながら、

もしかしたら違う場所なのかもと

慌てて

念仏寺を出ました。

 

通りかかった方に

寂聴さんの法話がまだ始まらないみたいなんだけど…

と聞いたら、

 

「もう終わって、寂聴さんも帰ったみたいですよ。」

 

…結局、

寂聴さんに

お話しを聞くことも

お会いすることもできませんでしたが、

思わぬ出会いに

ちょっと気持ちが温かくなった

出来事でした。

 

バスに乗り

京都の町に戻ると、

夜でも明るい

賑やかな日常がありました。

 

千年も昔から

変わらぬものと変わったもの。

両方が共存しているのが

京都なんだなと

思いました。