戦争と父 本日は終戦記念日。改めて戦争反対!

父は少年飛行兵でした。

 

16歳の時、

40倍という高い倍率の中

合格することができ、

当時は

とても誇らしい気持ちだったと思います。

 

多くの同期の方が

特攻隊員として

次々と飛び立っていく中、 

父は飛び立てませんでした。

乗り込んだ飛行機が

たまたま故障したのです。

 

父は生涯

鹿児島県にある

知覧特攻平和会館

行きたがっていました。

残念ながら

行くことは叶わなかったので、

それだけは

心残りだったのではないでしょうか。

 

フィリピンで戦っていた時は、

多くの方が

マラリアにかかり、

亡くなりました。

 

また、

戦況が悪化していくにつれ

友人が次々と

倒れていきました。

父は

目の前で亡くなった親友の持ち物を持って

逃げたこともあったそうです。

 

終戦後、

自分だけが生き残ってしまったことに

負い目を感じ

迷いましたが、

親友のご実家へ

遺品を届けに行ったそうです。

遺骨を受け取ることもできなかった

ご家族の方に

喜んでいただけて、

安心したと話していました。

 

父は、

捕虜にもなったこともありました。

しかし、

若かったからか

アメリカ兵の方に

英語を教えてもらうなど

それほどつらい思いは

しなかったようです。

 

父が生きて帰ってきてくれたおかげで

私たちは生まれ、

子どもや孫にも恵まれました。

 

私たちは幸せです。

それもこれも、

全て

父が無事に帰ってきてくれたおかげです。

 

私たちはとても運がいいんです。

でも、

一番運がいいのは

父なんだと思います。

何度も何度も

命を落としかねない状況の中、

無事に帰ってくることができました。

 

ひ孫2人の成長を楽しみに

過ごしていた

父は、

今は天国から

12人のひ孫の誕生と成長を

目を細めて

みてくれていることでしょう。

たまに来て、

あやしてくれているのかもしれません。

 

母のお兄さんは、

25歳という若さで

戦死しました。

 

母のお兄さんだけでなく、

戦争さえなければ

育まれるべきはずだった

たくさんの命がありました。

親から子、孫、ひ孫へと

命を繋いでいくことも

できたはずです。

 

命は

天寿を全うしてこそ

幸せなのだと思います。

それが長くても、

たとえ

短かったとしても…

戦争や自死などで

終止符を打ってはいけないのです。

 

世界中で

戦争が無くなった日は

一日も

ないそうです。

 

戦争によって

悲しみや憎しみ以外に

何が生み出されるのでしょうか。

多くの方の

気持ちや

命を

踏みにじったうえで得たものは

人を幸せにするのでしょうか。

 

戦争反対です!