兄弟姉妹を平等に育てることが世界平和につながる?!

母が亡くなった後、

6人の孫が口々に言っていたことがありました。

 

「おばあちゃんは、私を一番かわいがってくれてたと思う。」

 

「みんなを一番と

思わせるなんてすごいよね!」

と、妹と話しました。

 

私と妹も

同じように

とてもかわいがられながら

育ちました。

そのおかげか、

近所に住む妹とは

昔からずっと仲良く過ごしています。

 

友人のご主人は

男3人、女1人 4人兄妹の

三男でした。

そのお宅では

長男のみが大事にされました。

長男は大学にも通わせてもらいましたが、

次男と三男は

昼間働いて学費を稼ぎ、

夜間の大学に自力で通いました。

親が手助けしてくれることは

なかったそうです。

 

その後、

長男は結婚して他県に家を建てました。

次男、三男は近くにいましたが、

家を継ぐことも

実家に寄り付くことも

ありませんでした。

 

友人のご主人は

何十年経っても

両親に不平等に扱われたという

納得のいかない思いが

消えることも

薄れることもなかったそうです。

 

結局、

末っ子の長女が

ご主人を養子に迎えたそうです。

もし、

4人を平等に育てていれば

近くに住む次男・三男の力を借りることも

一緒に楽しい時間を過ごすことも

できたのかもしれません。

 

私は両親にしてもらったように

3人の子どもたちを

平等にかわいがるよう努めてきました。

そして、今

近くに住む子どもたちの3家族。

3人の娘・3人の息子だと思っています。

旅先で買うお土産は、

同じものを3つ。

たくさん作ったおかずのお裾わけも

同量ずつ。

ものによっては、

きちんと測って同じように分けます。

子どもたちに笑われることもあるけれど、

同じようにしたいんです。

 

近所に住んでいる

子どもたちも

近所の方にも

ビックリされるくらい

とても仲良く過ごしています。

 

 

そして、

7人いる孫もみんな

同じようにとってもかわいい。

子どもたちも

孫を同じように

かわいがって育てています。

 

家族仲良くすることが

世界平和の一番小さな素なのだと思います。

 

世界平和の小さな素を

次世代に継いでいくために

私にできることをしていきたい。

そのために、

笑われても

お裾わけは秤でしっかりと

3等分していきたいなと思っています!

京都あだしの念仏寺 千灯供養 に行きました。

十年以上も前、

子どもと一緒に

京都のあだしの念仏寺

千灯供養に行きました。

千灯供養とは

毎年8月23日・24日に、念仏寺境内の西院の河原にまつられている数千体の無縁仏にろうそくを灯し、供養する宗教行事です。

 

当時は

往復はがきで申し込みをしてから

行きましたが、

今は予約不要なようです。

行事協力維持料として一人1000円かかります。

(小学生以下は無料)

 

www.nenbutsuji.jp

 

あだし野は、昔々

行き倒れなどで最後を迎えた

多くの方が

無縁仏となって

弔われている場所です。

千年以上経った今でも、

全国から

大勢の方が

弔いに訪れています。

 

段々と

空が暗くなるにつれ、

ろうそくの数が増えていき

何とも言えない

厳かな雰囲気になってきました。

みんなの思いが通じ、

無念の思いで亡くなってしまった方も

心安らかに。

と、願います。

 

念仏寺に来たのは、

瀬戸内寂聴さんのお話を聞くためでもありました。

本堂前で

今か今かと楽しみに待っていました。

 

無数のろうそくの灯りを見ながら

法話までの時間を

待っている間、

たまたま隣に座って待っていたご夫婦と

話す機会がありました。

 

東京から来たというご夫婦は、

巣鴨に住んでいるとのこと。

私の母は、

戦争の空襲で疎開するまで

池袋に住んでいました。

その時、

お茶はいつも

巣鴨のお茶屋さんと決めていたそうです。

もしかしたら、

そのお茶屋さんを知っているかなと

聞いてみたところ

「それ、同級生の店だよ!」

と、ご主人が言うんです。

偶然のことに

話しが盛り上がり、

なんだか嬉しくなりました。

 

そんな話で盛り上がっていましたが

ふと、時計を見ると

もう法話がはじまる時間。

全く始まる気配がなかったので

「おかしいですよね。」

などと話しながら、

もしかしたら違う場所なのかもと

慌てて

念仏寺を出ました。

 

通りかかった方に

寂聴さんの法話がまだ始まらないみたいなんだけど…

と聞いたら、

 

「もう終わって、寂聴さんも帰ったみたいですよ。」

 

…結局、

寂聴さんに

お話しを聞くことも

お会いすることもできませんでしたが、

思わぬ出会いに

ちょっと気持ちが温かくなった

出来事でした。

 

バスに乗り

京都の町に戻ると、

夜でも明るい

賑やかな日常がありました。

 

千年も昔から

変わらぬものと変わったもの。

両方が共存しているのが

京都なんだなと

思いました。

旅行と高校野球

この時期、

高校野球の声援が

テレビから

聞こえてくると、

高校2年生の夏休み

初めていった旅行を

思い出します。

 

当時は、

ユースホステルを利用する旅行が人気でした。

ユースホステルの会員になって

日本各地を巡る中で、

様々なものを見たり

多くの方と出会ったり

今思うと

貴重な経験をたくさんしてきました。

 

友人と初めての旅行は

青森でした。

1泊2食付きで700円程のユースホステルを利用して

大きなリュックサックを背負い、

5日間で下北半島を一周する

旅程です。

 

父は、

成績が下がったことを理由に

大反対!

とても心配してくれていたのだろうと思います。

どうしても行きたかった私は

隣のおばさんに

父を説得するように

頼みこみました。

 

出発当日、

最寄り駅まで送ってくれたのは

父でした。

 

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青森駅に無事到着。

でも、

早速トラブル発生!

宿泊するユースホステルの場所が

わからなかったのです。

 

どうしようかと

友人と悩んでいるところへ

小さなお子さんを連れたご夫婦が通りかかりました。

道を聞こうと

話しをしていくうちに、

お二人の出身地が私たちと同じこと

出身校も近かったことがわかり

地元の話しで

盛り上がりました。

結局、

道を聞くだけのつもりが、

ユースホステルまで

車で送ってもらいました。

 

次の日から、

下北半島

恐山、尻屋崎、大間崎

十和田湖などを巡りました。

 

恐山の賽の河原には、

親よりも早く亡くなってしまった

子どもたちのために

積まれたいくつもの石塔が並んでいました。

私も、少しだけ

お手伝い。

亡くなってしまった

子どもたちが

少しでも早く成仏できますように。

 

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当時、

大間崎には何もなく

地元の商店で購入したプラムを

海を見ながら食べたことを

思い出します。

数年前に行ったときには

大きなマグロのモニュメントがあってビックリ!

近くに土産物店もできて、

ずいぶん雰囲気が変わっていました。

 

お金がなかったので、

お土産は各地のちょっとキレイな小石を拾ったりしました。

(私のおススメは、大間崎の広い道端に落ちている石。

なぜか、キレイな石が多かったんです。笑)

 

節約のために

お昼は地元の食堂を利用しました。

どの食堂のテレビからも

聞こえてくるのは

高校野球の大きな声援。

同年代の人たちが頑張っているんだなぁ。

などと、思いながら

ラーメンをすすっていたことを

思い出します。

 

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知らない世界を

ウキウキしながら

見て回ったこの旅行。

これが、

私の旅行好きな人生の

第一歩でした。

 

この後、

多くの旅行を経て

日本各地で

色んなものを見て

多くのことを知り

様々な方と出会っていくのです。

 

夫と出会ったのも

旅行と登山をするサークルでした。

 

旅行によって

私の人生はより彩り豊かなものに

なっていったのです。

目標をもって頑張っているあなたへ。神さまからの言葉をお届けします。成功する!と強く思うこと。

目標に向けて

精一杯、頑張っている

あなたへ。

 

頑張っていても

順調にいくときばかりではないですよね。

つまづいて、

目標を見失ってしまいそうになる時も

あるかもしれません。

 

そのような方へ、

こびとのはなちゃんを通して

神さまからの言葉をいただいたので

お伝えします。

 

 

成功しないと思えば、しません。

でも、

成功する!

と思えば、成功するんです。

 

成功する!

と、強く思いながら

頑張ってみてください。

つまづくこともあるかもしれませんが、

元気になってください。

後から、そう思ってよかったと

思うはずです。

 

苦しみを取って、

頑張れることが幸せだと思って

やってみましょう。

 

今からでも大丈夫。

今なら間に合うはず!

 

遅いと思えば、

そうなってしまいますが

今からでも遅くない!

と思えば、遅くはありません。

あなたの気持ち次第です。

 

自分が心で思っていることを、

自分で

しっかりと考えてみてください。

 

目標を必ず達成できるかどうかは

わかりません。

でも、

あなたが泣いていると

わたしも寂しくなってしまいます。

 

元気を出して!

 

泣かないで。

泣いていると苦しくなってしまうから。

大丈夫だと思っていても、ダメになってしまうから。

泣かないで、大丈夫!って思うことが大切なんです。

 

みんな、あなたが笑顔になることを願っています。

 

泣き止めば、願いが叶うかもしれないからね。

子育てで大切なこと。子どもを見てあげましょう。褒めてあげましょう。

子どもが一番言う言葉を

ご存知ですか?

 

「見て!見て!」

 

忙しい時に限って

よく言いますよね。

 

余裕がない時もあります。

時間がないこともあります。

でも、

できる限り

見てあげてください。

 

お父さん、お母さん

あなたに

見てもらいたくて

褒めてもらいたくて

頑張っている子どもの姿を。

 

子どもがまだ小学生の頃

このような

方々がいました。

 

サッカークラブに入っている

子どもの

送り迎えはしても、

ご両親は車中で待っているばかりで

子どもが懸命にサッカーをしている姿を

一度も見に来なかった方。

 

ご両親は一度も運動会の応援に来ることがなく、

いつも

子どもたちだけで

菓子パンを食べている姉弟

 

また、

怒った際に

幼稚園児の娘たちを突き飛ばし、

ガラス戸が割れて

二人はベランダに転げ落ちたと

自慢げに

笑っていたお母さんがいました。

 

子どもが小さい時は

親の言いなりかもしれません。

でも、

子どもが大きくなったとき

どうなるか

考えてみてください。

 

笑顔を奪われ、

心を傷つけられた子どもが

どう育っていくのか。

 

数年前、

何度も何度も練習をして

ようやく

泳げるようになった時のこと。

友人に

「キレイに泳いでいたね!」

と、褒められたことがありました。

それまでは

週に1回行くかどうかだったのですが、

褒められたことが嬉しくて

次の日も

頑張って泳いでしまいました。(笑)

 

いくつになっても

褒められるのは

嬉しいことです。

 

お父さんにもお母さんにも

やりたいことは

たくさんあると思います。 

でも、あと数年

お子さんを優先する時間を

大切にしていきませんか。

 

今は、もう二度と戻ってこないのです。

 

「見てもらいたい!」

「褒めてもらいたい!」

と、頑張る子どもの姿を

よく見てあげてほしいのです。

 

あなたが見ていることで、

子どもは

いつもよりも

ずっとずっと頑張れる。

笑顔になれるのです。

四十九日までの過ごし方。あなたは一人ではありません。

数十年前のこと、

近所で

大きな火事が起こりました。

 

その火事で

残念ながら、

そこに住む

姉妹が亡くなってしまいました。

お姉さんは中学3年生。

1か月後の

修学旅行を

とても楽しみにしていたそうです。

 

どうしても

行きたかったんでしょうね。

修学旅行から帰ってきた

仲の良かったお友達に

「楽しかったね!」

と、電話がかかってきたそうです。

 

その後も

誰もいない理科室に

一人、座っているところを

何人もが見かけています。

 

これからの生活を

どんなに楽しみにしていたことでしょうか。

とても

残念な出来事でした。

 

志半ばに

亡くなってしまった

友人のご主人は、

ご家族の今後を

とても心配していたんでしょう。

家族ぐるみで仲良くしていた方のお宅へ行き、

「子どものこと、これからもよろしくね!」

と言って

帰られたそうです。

 

また、

生前

仕事から帰宅するとすぐに

風呂場へ行き

お風呂のスイッチを入れていたように、

四十九日まで

毎日

スイッチを入れに

帰ってきたそうです。

 

人の思いって

すごいですよね。

亡くなってからも

ずっと

思いを寄せる方の側にいるんです。

 

今、孤独を感じている方が

いるかもしれません。

でも、

そうではないんです。

あなたは一人ではありません。

 

あなたの

将来生まれてくるお子さんや、

亡くなってからもあなたを思う方が

側にいるかもしれません。

いつも

あなたの心に寄り添い、

あなたを見守ってくれているのです。

 

あなたは一人ではありません。

 

一人になることはありません。

戦争と父 本日は終戦記念日。改めて戦争反対!

父は少年飛行兵でした。

 

16歳の時、

40倍という高い倍率の中

合格することができ、

当時は

とても誇らしい気持ちだったと思います。

 

多くの同期の方が

特攻隊員として

次々と飛び立っていく中、 

父は飛び立てませんでした。

乗り込んだ飛行機が

たまたま故障したのです。

 

父は生涯

鹿児島県にある

知覧特攻平和会館

行きたがっていました。

残念ながら

行くことは叶わなかったので、

それだけは

心残りだったのではないでしょうか。

 

フィリピンで戦っていた時は、

多くの方が

マラリアにかかり、

亡くなりました。

 

また、

戦況が悪化していくにつれ

友人が次々と

倒れていきました。

父は

目の前で亡くなった親友の持ち物を持って

逃げたこともあったそうです。

 

終戦後、

自分だけが生き残ってしまったことに

負い目を感じ

迷いましたが、

親友のご実家へ

遺品を届けに行ったそうです。

遺骨を受け取ることもできなかった

ご家族の方に

喜んでいただけて、

安心したと話していました。

 

父は、

捕虜にもなったこともありました。

しかし、

若かったからか

アメリカ兵の方に

英語を教えてもらうなど

それほどつらい思いは

しなかったようです。

 

父が生きて帰ってきてくれたおかげで

私たちは生まれ、

子どもや孫にも恵まれました。

 

私たちは幸せです。

それもこれも、

全て

父が無事に帰ってきてくれたおかげです。

 

私たちはとても運がいいんです。

でも、

一番運がいいのは

父なんだと思います。

何度も何度も

命を落としかねない状況の中、

無事に帰ってくることができました。

 

ひ孫2人の成長を楽しみに

過ごしていた

父は、

今は天国から

12人のひ孫の誕生と成長を

目を細めて

みてくれていることでしょう。

たまに来て、

あやしてくれているのかもしれません。

 

母のお兄さんは、

25歳という若さで

戦死しました。

 

母のお兄さんだけでなく、

戦争さえなければ

育まれるべきはずだった

たくさんの命がありました。

親から子、孫、ひ孫へと

命を繋いでいくことも

できたはずです。

 

命は

天寿を全うしてこそ

幸せなのだと思います。

それが長くても、

たとえ

短かったとしても…

戦争や自死などで

終止符を打ってはいけないのです。

 

世界中で

戦争が無くなった日は

一日も

ないそうです。

 

戦争によって

悲しみや憎しみ以外に

何が生み出されるのでしょうか。

多くの方の

気持ちや

命を

踏みにじったうえで得たものは

人を幸せにするのでしょうか。

 

戦争反対です!